認識してなかったことが認識できるようになるとき。を今後も増やしたい。

どうも。わたしです。最近まで直毛だと思っていた私は、髪の毛を伸ばせば真ん中で分けてサラッと下に落ちるようになる。と思っていたのですが、実はそうならない。ということわかりました。妻に教えてもらって。美容師さんにも確認して、全体で癖のある髪質だということに、つい先日気が付きました。

このように。「実はそうだったのに、全く気が付かずに過ごしている。」そんなことが多い私です。どうもこんにちわ。今日のアドベントカレンダーはそういう、内面的なお話です。

こういう体験は皆さんにもあるのか。無いのか。そのあたりがよくわからないのですが。私はこういうことがよくよくあります。おそらく子供の時から、周りに比べてボーッとしていたので、そのあたりが今も影響しているのかなと思っています。

これまでの気づいてなかったことに、後から気がついた例

小学校の時で言えば、どういう仕組で成績表の評価がついているのかよくわからずに過ごしてました。テストってそのためにあったんですね。というかテストってものがあったんですね。授業の一環で、「今日はプリントの問題を解く日かー。」ぐらいにおもってました。

就職活動時は、就職活動中にすべての会社の入社試験を受けられると思っていたのですが、実は数十社ぐらいしか受けられないということに途中で気がついてびっくりしました。エントリーシートをWebから200通ぐらい送ったのですが、それでも全く全体の企業数に届くわけ無く。さらに200社からの返信や、説明会参加だけでも無理なんだなと体験しました。

大人というのは、だいたい全部のこと知っていて、正しく判断できるものだと思っていましたが、今大人の年になって全然そうではない自分がいますね。こんなに中身がかわらないまま月日が過ぎるのだとは思ってませんでした。

最近まで、どこかしらに正解があり、達成は難しいとしても、全体としてそこに向かっていけばいいと思ってたのですが、実は正しいことや正解というのは立場や状況によって変わることであり、そもそも正解はあってないようなものということを知りました。結構ショックでした。

お洒落の感じの真ん中は酒では無い。というのは今日知りました。

Webサイト制作を長くやっていますが、制作の前の工程として調査や設計部分だけでも、大変に多くの作業があることに気が付き、全部見つかるどころか、どんどん広がって増えていってます。これからもどんどんと広がるだろうなと感じています。

どうしたらこの体験を増やせるか

このように、割と身近にあるにも関わらず、全然そのものが見えて無く、やっと気づいてから「そうだったのか!!言ってよー!」的なことが見つかると、視野の解像度が上がったような気になりますので、今後も増えていくといいなと思います。

どんなときに、こういう体験ができるのかと考えてみたのですが、以下のような感じでしょうか。

  • なにかしら、新しいことを初めた時
  • だれかと話をしている時
  • 本などを読んだ時

なるべくこういった事ができる時間を減らさないようにしたいところです。

そのためのデザイン

これが自然にできるように日々の暮らしがデザインされていると良い気がしますね。あ、そうそう、最近は自然とそうしてしまうように生活をデザインするといい。ということにも気が付きました。

私は特性上、目の前に有ることに飛びつく事が多いので、何かを継続して続けたり、覚えておくようなことが苦手です。なので、あまり努力しなくても行動できるようにデザインしておくわけです。

このアドベントカレンダーもその一環ですね。なにかしら情報を発信したほうがいいだろうと思いながら、炎上のリスクや、そもそも時間が取れるない。などを理由にだいたい書かないので、アドベントカレンダーとしてしまって、しかもTwitterにとりあえずそれを書くことで、なんとなく強制感をもたせつつ、一応サボってもOKとする。的なところを作っています。

他にも会社に所属すれば、仕事をする。ということがデザインされますね。会社の営業活動では社内外問わず様々な人と話して、常に発生するいろんな問題に取り組む必要があります。出来る出来ないはさておいて、日々複雑な問題取り組むということが会社では自然と出来るようにデザインされている気がします。

このような、装飾以外でデザインという言葉を利用することも、これまではなかったことで、最近知りました。未だにこういう活用法が正しいかどうか自信はありませんが。

というわけで、みなさんはどうですか?

こういうふわっとした、内面的な記事を書くとなかなか、心配になります。捉えられようによっては、まちがってつたわらないかな。とか、誰かを不快にさせないかな。とか。

そうそう、何かしらブロクを書いたり、発信したときに評価を気にしてしまうことについても気がついたことがありました。

賛成の意見があっても、反対の意見があっても、あっただけと受け止めるようにする。です。あまりにどちらの評価も気にしなくなると、それはそれで孤独になるような気もするのですが。褒められて嬉しいということと、反論されて悲しい、腹が立つ。というのはきっと同じように他者からの評価における反応なので。片側だけ取るというのは出来な気がしています。

とはいえ、全く分けのわからない、独りよがりな文章を書いても仕方ないので、難しいところですね。

でも自分アドベントカレンダーですからね。とりあえず良しとしましょう。

では!また次回。